セラフィーヌの庭

昨年8月に、岩波ホールで見たフランス映画です。
所々でかかるバロック風の音楽が良くてサントラを探しましたが手に入らず、結局作品自体のDVDを購入。1年ぶりに見直して、改めて画面の美しさに感嘆しました。

舞台は、第一次大戦前後のサンリス、パリから北東へ上っていった辺りのようです。家政婦として働きながら、毎夜ひたすら絵を描く日々の中年女性セラフィーヌ・ルイ。雑用の仕事で通う屋敷に、たまたま間借りした男性が、これもたまたま屋敷の女主人に作品を見せるように言われて、彼女が持ってきていた一枚の絵に目を留めます。女主人は、才能が無いから諦めろとにべもない。ですが、間借りした男性は実はピカソ、ブラックと友人で、ルソーを見出した画商ヴィルヘルム・ウーデ、力強いタッチと深い赤の林檎の絵1枚で彼女の並々ならぬ才能を見抜きます。
「無知な連中の言うことは気にするな、私を信じろ」(カッコいいです)と言われ、カツカツの生活の中で、ろうそくの火の中、「百目」みたいな果実の絵や「目目連」みたいな木の葉の絵を書き続ける様は鬼気迫るものがありますが、シーンはとてもとても美しく、ず〜っと見ていたい気持ちになります。
第一次大戦の勃発で、一度はドイツに逃げ戻ったウーデですが、大戦後またフランスへ戻り、サンリスの市役所で地元の人々の絵画展を開催していることを知って「もしや!」と駆けつける。大人しい風景画や子供や犬の絵に混ざって、あの、度肝を抜く、葉の一枚一枚が生き物のようなセラフィーヌの絵と再会する場面はぐっときます。
前にあった時よりも、さらに困窮している彼女に、ウーデは月々のギャラと、縦2mの大型キャンバス、画材を届けさせることを約束し、ここら辺は、見ているこちらも嬉しいです。部屋も広くなって、あぁ、良かったねぇ…と。だから、次第に城だドレスだ銀食器だと浪費が始まり、言動がおかしくなっていく展開がつらい。1929年の世界恐慌で画商のウーデも経営難に陥り、予定の展覧会が延期になったをきっかけに彼女は壊れてしまいます。終いには教会のマリア像をピンクに塗り上げ、ウェディングドレスを着込んで、大袋に入れた銀の燭台や食器を近所に配って廻るサンタクロースのような奇行に、警察を呼ぶ騒ぎとなり精神病院に収容されてしまうのは悲しい。
ウーデの采配で、明るく、庭にも出られる個室に移されたセラフィーヌが、ベランダにお気に入りの椅子(背もたれにハート形の模様があるキュートな椅子。屋敷の庭にあって、この椅子に座らされて絵を描くように説得されるのです。途中にも、この椅子が無人の屋敷の雪の庭にポツンとあるシーンがでてきます)が置いてあるのを見つけて、それを持って、遠く、丘の上に立つ大きな木のところへ、草原をサクサクサクサク歩いていく長廻しのラストシーンはちょっと救われた気になります。多分「丘の上の木」は、彼女の心の中の風景なのでしょうけれど…
セラフィーヌが、ウーデ氏の書く文字に魅せられるエピソードが好きです。
屋敷で、氏が台所のテーブルにメモ書きを置いていきます。「パリへ行ってきます。いつものように、お願いします」と。この何でもない伝言を、彼女は何度も眺めて口ずさみ、丁寧にメモ用紙をしまいこみます。掃除の時には、氏の手帳の流麗な筆記体を飽かず眺めます。大戦勃発で、彼らが慌ただしく屋敷を出立したあと、無人の屋敷の中で氏の手帳を見つけた彼女は、大事に取っておいて、10数年ぶりの再会した折、彼にその手帳を返します。「旦那様のきれいな字で、いつか私に手紙を書いて」このシーンも好きですね。映画オフィシャルページの年表に寄れば、出会ったときは48歳、再会した時は63歳(ウーデは53歳)なのですが、淡い恋心との見て取れて、ふんわりした気持ちになりました。
「セラフィーヌの庭」 SÉRAPHINE  監督=マルタン・プロヴォスト

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