ル・アーブルの靴みがき

ユーロスペースで、カウリスマキを見てきました。

いやいや、ここまでやって良いのかと思うほど理屈抜きのハッピーエンド。
毎度のことですが美男美女は出て来ず、見事なまでに貧乏な人々。子どものような旦那を優しく支える妻が不治の病で入院し、入れ替わりに、ガボンからの不法移民の少年イドリッサを匿うことになり、難民キャンプへ彼の祖父を訪ねたら、なりゆきでロンドンの母親の元に送り届けることを約束してしまったり…
密航ための3000ユーロを集めるために、唐突に往年のロック歌手を引っ張り出してライブを開いて費用を捻出し、警視は人情熱く密航を見逃し、少年イドリッサをロンドンに送り出すことに成功!と、おとぎ話のような展開ですが、パン屋の女将さん、八百屋の夫婦、ベトナム移民の靴磨き仲間チャングやバーの女主人、とカツカツな者同士、街ぐるみで助け合って切り抜ける物語は「こんなことがあったら良いなぁ」と思わせる小気味よさがあります。

ラストは、満開の小さな桜の木と屋根のショット、と日本人のツボを押さえます。カウリスマキは大酒飲みらしいですが、まだまだこの世界を作り続けてほしいものです。

「ル・アーブルの靴みがき」Le Havre 監督=アキ・カウリスマキ

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ジャクソン・ポロック展

竹橋の近代美術館で、ジャクソン・ポロック展を見てきました。2度目です。

作品の点数や間隔が見やすく、とても居心地良かったもので。特に、成熟期の作品群を展示した部屋は照明を落としてあり、中でも、真っ白い壁に飾られた大きな2作品は、いつまでも離れ難い静謐な空間で、終わる前にもう一度あの空間に佇んでおきたいなぁ、などと…
ただ、最初に出かけた2月初旬の日曜日は、まだ始まった直後で人も多くはなく、ゆったり見ることが出来ましたが、終わりに近い今回は、ビックリするほど混んでいました。こんなにたくさんの人が、興味あるんだ!と少々意外でした。私など、印刷物で見るかぎり「画面一杯にチューブ絵の具をグニグニ塗り散らかした乱暴そうな作品」の印象しかありませんでしたから…。川村美術館で現物を見て、大変繊細に色を重ねてある作品だということを知り、そしてさらに今回、色の美しさに驚愕しました。ぼかしたようなグレーの下地に、黒、白、黄、そして目の覚めるような朱赤のポーリングなど(number25)、惚れ惚れします。
それにしても、4c印刷では出ないような色ばかり。実物見ないと、この作品のスゴさは伝わりにくいかも、です。ある時期に良く出て来る薄い浅葱色など、絶対にくすんだ青になってしまいますもん。

昨年、やはりこの美術館で2回見てしまった(竹橋が近いもので…)「イケムラレイコ展」も、極端に照明を落とした中に、浮かび上がる白い円卓、そこに横たわるテラコッタの少女像の部屋がハマりましたが、今回も、暗い部屋の白壁の2作品はグッと来ました。数年前に見に行った川村記念美術館のマーク・ロスコ展もそうでしたが、「そこへ嵌り込む感覚」が味わえると、格別です。

「ジャクソン・ポロック展」東京国立近代美術館 2012年2/1〜5/6

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哀しき獣

シネマート新宿で「哀しき獣」を観てきました。
韓国映画で、いそいそ映画館にも出かけてしまうのはポン・ジュノ監督だけなのですが、週刊文春のシネマ評が、揃って「猥雑さと殺気が全編に瀰漫」「執拗さに脱帽」「異様な怪力に驚嘆」と、一様に「強い衝撃を受けた」感が滲み出ていて、無性に見てみたくなりました。

中国に朝鮮族自治区があることを、始めて知りましたが、その自治区・延辺に住むタクシー運転手のグナムは、ソウルまで出稼ぎに行く妻のビザのために6万元の借金をしますが、妻からの連絡は途絶え、借金を返すために賭け麻雀をして、さらに借金を増やすことに。表向きは商人のミョン(裏は請負殺人、密航、なんでもする闇組織の親分)から、借金チャラの替わりにソウルで人を一人殺せと持ちかけられます。
失踪した妻を捜したいグナムは、殺人を請け負い、密航でソウルへ行きます。この密航のシーンもリアルで、暗い寒い湿った船底に詰め込まれた密航者十数人は、途中からいやな咳をし出し、ソウルに到着した頃には、体力のない女性がひとり息を引き取っている、船員はこれを、ズタ袋でも捨てるようにボチャンと海に捨ててしまいます。
ソウルで、ターゲットを殺す機会を待ち、決行!という日に、殺しを請け負った別の2人が現れ、しかもターゲットが体育大教授で滅法強く、相打ちになり、グナムが何もしないうちにあたりは血の海に。なぜ二つの殺人がかぶったのかも分からぬまま、居合わせた彼が犯人として追われる身となり、怒濤の逃亡劇になります。

ターゲットを狙ったもう一方は、ソウルの実業家テウォン(裏の顔は、これも闇組織社長)とその一味で、ミョン、テウォン、警察から追われる身となった上に、帰りの船が用意されていないことで、捨て駒にされたことに気づき、とにかく逃げまくるグナム。
途中からは、闇組織同士の殺し合いまで始まり、しかも、裏社会の抗争ならば銃でしょ、と考えますが、全員刃物なんです。短刀と斧! これは大映の時代劇か??というほどの切り合いです。キツくて見られないシーンもありましたが、皆、あまりにもしぶといので、感心しきり…

結局この凄惨な殺戮劇の原因は、実業家テウォンの方は「奴に愛人を寝取られた」、ミュンの方は、ある銀行員が「教授の美人妻を我がものにしたいから夫を殺してくれ」の依頼。飽きれるほど単純な痴情のもつれだとグナムが突き止めた時には、もう全員が殺し合いで死んでおり、最後は漁船の中で彼も…。
救いがない物語ではあるのですが、でもこの迫力には脱帽です。

「哀しき獣」The Yellow Sea 監督=ナ・ホンジン 2010年

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幕末太陽伝

テアトル新宿で「幕末太陽伝」を観てきました。
この作品、かなり昔に並木座か大井武蔵野館かフィルムセンターで観て、あんまり面白いのでDVDも買い、それでもデジタル修復版を劇場で観られるのがうれしくて出かけてしまいました。

オープニングは、国道をブンブン車が行き交う現在の品川の映像、そして舞台となる文久2(1862)へ遡ります。でも、映画が製作されたのは1957年、「現在の品川」自体が55年も前なので、ソニー、キャノン、プリンスホテルが林立する今の品川に、かの映像の面影はありません。
東海道品川宿の遊郭「相模屋」で、呑めや歌えの大尽騒ぎをした佐平次、挙げ句に持ち金がないから働いて返す、とケロリと居座ってしまいます。口八丁手八丁で客をあしらいチップを巻き上げ、算盤を弾き、達筆なので起請文の代筆の内職まで始める始末。その佐平次をフランキー堺が演じますが、とにかく身軽なんです。切れが良く、ダンスでも踊るかのように、お盆に徳利乗せてあっちの部屋こっちの部屋と飛び回ります。
他にも、こはる(南田洋子)とおそめ(左幸子)売れっ子二人の、つかみ合いの大喧嘩もド迫力の躍動感。中庭での乱闘から、カメラが引くと今度は2階で第2ラウンドと、これも美人の女優さんお二人がよく動きます。

画面のあちこちに動物がいるのも楽しい。路地裏で立ち話する男たちの足下に犬がうろちょろ、鶏がうろちょろ、夜番で居眠りする若い衆の膝には猫がいて、宿屋のボンクラ息子と女中おひさが、駆け落ちしそびれて押し込められた座敷牢の木枠には、そこここに鼠がちょろちょろ。皆等しく「生活してます!」という感じがとても可笑しいのです。

底抜けに明るい佐平次ですが、実は肺を患っていて、タチの悪い咳をしつつ薬を常用しています。以前この作品を観た時は、余命が長くはない主人公のお話として、物悲しい印象を残したのですが、デジタル修復で画面がガラリと明るくなったためか、主人公は絶対死なないような気がし出しました。

「地獄も極楽もあるもんけぇ! 俺はまだまだ生きるんでぃ!」の名文句を残し、ラストは軽快なトランペットの音色とともに、海岸沿いの道をどこまでも突っ走って去っていきます。かぁ〜、面白かった! という終わり方なんですね。
監督はこのラストシーンを、時間を飛び越えて現在の品川まで走らせようか、最後まで迷ってやめたそうですが、もうひとつのエンディング、見てみたかったなぁ…

「幕末太陽伝」 監督=川島雄三 1957年

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永遠の僕たち

仕事納めの年末28日に、「永遠の僕たち」を観に行きました。納め会やら飲み会やらで映画館は空いているかなと思いましたが、日比谷シャンテの一番大きなスクリーンが結構埋まっていて驚きました。

ガス・ヴァン・サントは「マイプライベートアイダホ」「エレファント」「MILK」と、好きな作品が多いですが、これも沁みました。
両親を事故でなくし、自らも臨床的に3分死んだ経験のあるイーノック。癌を患い、再発でもう余命3ヶ月と宣告されているアナベル。第二次大戦末期に、特攻隊員として戦闘機に乗り、戦死したヒロシ。オレゴンはポートランドの街に、いきなり特攻服の日本人が現れるのって、やはり浮いた感じになるのでは?と、観に行く前はかなり不安でしたが、見事にハマっているんです。脚本家のコメントに「今回2人は携帯もネットもツイッターもやらない、なんかフェイスブックをチェックするタイプに思えなくて…」とありましたが、本当に、日本語の縦書きの手紙を手に持つイーノックがしっくり来るんですよね。ヒロシに「お辞儀」を教わるも、首だけヘコッと突き出したり、なかなかうまくいかないシーンも微笑ましいです。アナベルも、時間があると鳥や虫の絵をコリコリとスケッチブックにで描きこみ、いつまでも静かに一人で過ごせる少女、そしてヒロシは簡単な英語を喋る。3人が、生きる時代も場所も超越してしまった風情があって、並んでも違和感がないんですね。

「MILK」も「エレファント」もそうでしたが、この作品も、死の間際とか事件の瞬間とか、お約束の「泣かせシーン」を潔くカットしてしまっています。(グッドウィルハンティングの「抱き合って号泣」もパラノイドパークの「列車で胴体が切断されて腸が〜」なんてシーンも撮る人ではありますが…)それでも、アナベルの静かな一言「そろそろ行かなくちゃ」には泣いてしまいました。
生前彼女が自分の葬式の演出を楽しそうに語るのですが、ラストはその演出通り、カラフルなゼリーやクッキーをぎっしり並べたテーブルの向こうで、イーノックが微笑みながら、葬式の参列者に挨拶しようとするところで終わります。死の物語なのに、救われた気がする魅力的な映画でした。
「永遠の僕たち」Restless 監督=ガス・ヴァン・サント

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ミッション:8ミニッツ

「ミッション:8ミニッツ」見てきました。(あ、ネタバレですので要注意)
テロを阻止するミッションということで、「デジャヴ」のような話かと予想しましたが、途中から主人公コルターの置かれている状況がどんどんわからなくなり、いったいどこへ着地を?という、先が読めない物語でした。

主人公コルター大尉は、目が覚めたら列車の中、見知らぬ前の席の女性に「ショーン」と呼ばれ、トイレで鏡を見ると全く知らない男の顔が映る…… 大混乱です。で、8分後に列車が爆発。気がつくと暗いポッドの中、というのは「マトリックス」のようですが、モニターで軍の女性グッドウィンに初めて概要を説明されます。シカゴ行きの列車が、終着駅シカゴの少し手前で何者かに爆破され、乗客は全員死亡。その中の一人の8分間だけ残る記憶を再現し(その人物が「ショーン」なわけです)、列車に積まれた爆発物と、直前まで乗車しているはずの犯人を見つけるのが任務だと。犯人はすでに犯行声明を出している、次はシカゴの中心地を爆破する。それをなんとしても阻止せねばならないと。

混乱を抱えたまま、コルターは再び同じ列車の同じ状況の中に。爆発物は見つけるも、やはり爆発は阻止できず。そのうち、戻っていくポッドも、墜落した戦闘機のコックピットのように、だんだん荒んだ状況になっていきます。
面白いのは、状況が把握できないのに、「任務」という言葉の呪縛に突き動かされるように、彼がなんとか犯人探しや爆破を阻止しようと奔走すること。実は、そこが映画のキーワードになっているわけですが。実はコルター本人も、2年前に中東で戦死しているのです。最後の方で、カプセルに入った、腕も腰から下も無い姿が出るのは衝撃でした。脳みそだけになっても、国に尽くせというわけです。

この映画は93分ですが、いやいやこの時間が丁度良い。繰り返し、死への8分間が繰り返されるのは、見ていてキツいものがあります。恐ろしく慌ただしい8分間ですし…。混乱の中、繰り返し同じ場所に戻るうち、「ショーン」の恋人らしい、前の席のクリスティーナを好きになっていき、周りの乗客の職もわかってきて情も移る。プロジェクトの責任者に「どうせ皆死んでいるし、その運命は変えられない」と言われても、彼の現実では、皆まだ生きているのですから。

ラスト、任務の成功で有頂天の軍のチームは、彼の脳内のデータを初期化し、また別の任務に就かせる考えですが、会話を重ね、家族の物語まで知ってしまった中継役のグッドウィンは、実体のないはずの「ショーン」=コルターに情が移り、彼の願いに従って、上司の命令を無視して生命維持装置をオフに。彼を解放します。
最後の最後の8分間、列車は、乗り合わせていたコメディアンの笑い話に笑い転げる中、8分経過しても爆発は起こらず。ジオラマのようにそこで一度、画面がピタッと静止します。記憶は8分だけですから、これで終わりなのかなと思っていると、なんと、新たに「爆破がなかった世界」が始まります。「パラレルユニバース=並行宇宙」という概念があるそうですが、どこかの並行宇宙には、9.11が起こらなかった世界や、ケネディが暗殺されない世界が存在するとか。

時間の行き来の物語は、考え詰めるとドツボにはまるので、考えないようにしています。中身がコルターの「ショーン」は、存在しうる、別の世界で生き続けるという、後味の良いラストでヨカッタネ! とうことで。
見逃してしまっていた、同じ監督の「月に囚われた男」をどうしても見たくなり、DVDを買ってしまいました。嗚呼、散財…

「ミッション:8ミニッツ」Souce Code 監督=ダンカン・ジョーンズ

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おいしい映画 その2

おいしい映画、第二弾です。

これも、食の映画のお約束ではありますが「南極料理人」(沖田修一監督)。
料理人西村(堺雅人)が、南極基地で調査団と過ごす1年ちょっとを、限られた食材で工夫を凝らして作っていくお料理物語なので、全編美味しそうですが、特に好きなシーンは「美味しいおにぎりとアツアツの豚汁」。予告で使われたこのシーンが見たくて、映画館に出かけたようなものです。
冒頭の食事シーンでも、律儀におかず、ご飯、おかず、ご飯と食べていくヤツ、食べないうちから、いきなり醤油をダボッとかけるヤツ(私の亡父がダボッと醤油派でした)、あらゆるおかずを全部ご飯の上に乗せて、丼ものにしてしまうヤツ、と可笑しいです。

それから、繰り返し何度も見てしまうのは「刑務所の中」(崔洋一監督)。ガンマニアの漫画家・花輪和一が、趣味が高じて銃を改造しすぎ、銃刀法違反で有罪になってしまい、塀の中での淡々とした生活(特に3度の食事!)を克明に描いたマンガが原作です。主人公ハナワの山崎努、5人部屋のお仲間は香川照之、松重豊、田口トモロヲ、村松利史という面子ですが、皆の一番の楽しみは、やはり3度のメシ。特にハナワのお気に入りは、麦3白米7の割合のご飯。春雨のスープ、エビの甘い佃煮、マグロフレークと、シャバで好きなものにありつけるこちらとしては、特にうらやましいメニューでもないのですが、5人があまりにもおいしそうに食べるので、繰り返しDVDを引っ張り出してしまうわけです。
後半に、受刑者みんなが楽しみにしている「間食」の話が出てきます。月に6回、作業の合間の間食(おやつですね)、なかでも特に楽しみなのが「パン食」だそうで、かつて給食でおなじみだったコッペパン、りんご、缶詰の桃の角切りやぶどうなどが入ったフルーツカクテル、甘い小倉小豆、そしてマーガリン。昔の「献立に失敗している給食」のような取り合わせで、うまいか?こんなもん、なのですが、画面の中の皆様が、これまた実に幸せそうに食べるので、うらやましくなります。

DVDを購入したくも、長らく絶版で手に入らなかった「愛の新世界」(監督-高橋伴明)が、HDリマスター版で売り出されていて、久しぶりに見直しました。
この作品も、好きな場面に食べるシーンがあります。主人公レイ(鈴木砂羽 劇団員ですが、喰えないのでSMの女王さまで稼ぎます)とアユミ(片岡礼子 ホテトル嬢、眉毛の太さと服装にまだバブリーな時代のにおいが)が、同じ劇団仲間がバイトする焼き鳥屋で、ものすごい量の焼き鳥を平らげていくシーン。お二人の脱ぎっぷりもすごいけど、喰いっぷりも良し。

「人のセックスを笑うな」(井口奈巳監督)で、美大生のえんちゃん(蒼井優)は、みるめ君(松山ケンイチ)が好き。でもみるめ君はリトグラフ講師のユリさん(永作博美)が好き。ユリさんは人妻なのになんで…とえんちゃんは面白くないんですが、彼女にグループ展の招待を受けて、ついつい会場へ行ってしまう。ギャラリーというのは、親しい人間でも誘わない限り居場所が無いのが相場。で、えんちゃんは入り口近くにあるお菓子の盛り合わせに手を伸ばす。そのうち、大皿を抱え込んでお菓子をモリモリ食べ出します。この映画、全編長廻しが多用されていますが、ここも結構長いシーンで、居心地の悪さがよく出ていて、妙に微笑ましく印象に残るシーンでした。

「転々」(三木聡監督)では、両親を早くに亡くし、天涯孤独の主人公の文哉(オダギリジョー)が、サラ金の借金を返せず、風変わりな取り立て屋・福原愛一郎(三浦友和)に取り立てを食らう。オレの東京散歩に付き合うなら借金はチャラ、といわれ、吉祥寺から桜田門へ向けて珍道中が始まります。なぜ桜田門かというと、福原は「妻を殺した。自首する前に妻と歩いたように散歩をしたい」のだと。嘘か真かわからないまま、中央線沿いに歩く二人が、途中で寄る店の「愛玉子オーギョーチー」が涼しげで美味しそう。
浅草の方まで出向いて、以前福原が、レンタル家族の夫婦役を演じたことのある麻紀子(小泉今日子)の家を訪ね、居合わせた彼女の姪っ子と、まるで4人家族のように数日間食卓を囲み続けます。別れ難くなってくる文哉。でも福原は、自首する前の最後の晩餐はカレーと決めていて、ある夜、皆で楽しくカレーを囲みますが、文哉は明日が桜田門、お別れの日だと悟って、涙のカレーライスになります。美味しくも物悲しい、いいシーンです。

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おいしい映画

久しぶりに、DVDで「ジョゼと虎と魚たち」(犬童一心監督)を見直して、作品も良いのですが、これって食べるところが本当に美味しそうな映画だと再認識しました。
雀荘でアルバイトする恒夫(妻夫木聡)は、早朝、店長の犬の散歩に出て、ひょんなことからおばあちゃんとジョゼ(池脇千鶴)を家まで送ることに。朝食を食べていけと言われるも、妖怪じみたおばあちゃんと、ニコリともしないジョゼに、出されたごはんに箸をつけるのも恐る恐る… で、まずお味噌汁。美味しい! わかめを啜り込んで、次にヌカ漬け、ダシ巻き卵と、次第にガツガツ食べるスピードが上がる。足しげく通うとようになると、彼の実家から送ってよこす、いつもは見向きもしない野菜などを、せっせとジョゼの家へ運んで、お煮染めなどにありつく恒夫が可笑しいのです。

「ジョゼと虎と魚たち」と同じ犬童監督の「メゾン・ド・ヒミコ」でも、主人公の沙織(柴咲コウ)が訪ねるゲイの老人ホームで、各自が好きなものを持ち寄っていただく日曜日のランチの、ずらりと並んだ料理の数々は美味しそうでした。

そういえば、ここ10年ぐらいの間に見た映画で、食のシーンが印象的な作品は何だったろうと考えました。
フードコーディネーターの飯島さんらが有名になられて、食の映画は注目度が高くなりましたが、作品も込みで好き!となると、しぼられてきます。

食の映画のお約束ではありますが、やはり「かもめ食堂」(荻上直子監督)はおいしい映画ですね。この作品は、作っているシーンが好きです。生姜焼き定食の色よく焼けてきた豚肉に、合わせダレをじゃっと廻しかける、揚げ鍋の中でチンカラチンカラ音を立てているトンカツを取り出して、まな板の上でサクッサクッと切り分ける、シナモンロールを作っていくシーンも、ず〜っと見ていたい気分になります。

それから「おくりびと」(滝田洋二郎監督)。これは、まずフグの白子でしょう。
主人公の大悟(本木雅弘)が納棺師の仕事を辞めたいと言いに、会社の上の階にすんでいる社長(山崎努)を訪ねていくと、丁度食事の最中。一緒に食べようと誘われ、席に着くと、何やら白い(モッツァレラチーズそっくり)ポテッとしたものを網で焼いている。「我々はこうして、命を食べて生きている。で、食べるならば美味しい方がいい」とかなんとか言いつつ、焼けたそれを、山崎努がそれはそれは美味しそうに食べるのです。早速ネットで調べてしまいましたが、フグの白子は有名な珍味なんですね。お取り寄せで、たくさん出てきました。
この場面のすぐ後にも、クリスマスイブに、社長、主人公、事務の女性(余貴美子)と3人で、フライドチキンをガッフガフ食べるシーンがあります。チキンの骨が、籠にポンポン放り込まれていくのも、豪快です。

昔の作品になりますが、小津安次郎「麦秋」にも美味しそうなシーンが。引出物でいただいたショートケーキがおいしかったので、義理の姉の史子(三宅邦子)が主人公の紀子(原節子)に、今度買ってきてと頼みます。丸の内勤めの原節子が、銀座でホールごと買ってくる立派なショートケーキ。モノクロ映画なので、イチゴの色もわかりませんが、丁度隣のやもめ男性がやって来て(紀子は周り中から、結婚相手の世話をやかれますが、誰も考えもしなかったこの子持ちのやもめ男性と結婚することになるお話)3人で、大きく切り分けたケーキを、ちゃぶ台を囲んで食べるシーンがおいしそうなんです。やもめ君「いや〜、豪勢だなぁ。お宅じゃちょいちょい、こんなの召し上がんですか?」なかなか食べ進まない史子に「食べないなら僕いただきますよ」「食べるわよ!!」の掛け合いも笑います。

あぁ、「美味しい映画」って、思い出すだけで楽しいです。

 

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日本画どうぶつえん

かねてから、訪れたいと思っていた山種美術館へ行ってきました。
渋谷から「日赤医療センター」行きバス「東4丁目」下車、以前広尾に事務所をもっていましたが、そのすぐ近くでした。なんで、こんなに近いのに知らなかったの?自分 と思ったら、2009年10月に兜町から移転したばかりなんですね。
収蔵品の中で、動物がテーマの日本画ばかりを集めた企画展で、猫、犬、馬、兔などの「愛しきものたち」、鶴、木菟、鴨などの「翼をもつものたち」、鮎、鯉、飛魚などの「水の中のいきものたち」、蛙、蜻蛉、蝶などの「小さきものたち」と、夏休み企画らしい、わかりやすい展示で楽しめました。
スペースが小振りなので、お気に入りを繰り返し眺めるのにちょうど良いのです。私は、奥村土牛の一連の作品にやられました。皆柔らかでシンプル、バックなんてほとんど何もない。とくに「啄木鳥」、バックの木は軽くグレーで、啄木鳥だけが黒白斑に所々真っ赤な羽がピッと入る。この削ぎ落とし具合は、唸ります。母親がこの方の作品が好きで、でも小学生の自分は奥村さんの絵が上手いのか下手なのか微妙〜という印象でした。母親が大事に取ってあったカレンダーのひとつは猫の絵で、赤い座布団は真俯瞰なのに猫が横からの視点で、遠近が変、もうひとつは踊り子の絵で、なんだかバレリーナのスタイルが良くない、などというつまらない理由で。あ〜何もわかっていなかった小学生坊主の自分…。
ただ、今はわかっているかというと、今回の展覧会でも「あ、この牛も土牛さんらしいな、うんうん」などとよく見たら小林古径だったりして、ああ、私はド素人…
速水御舟の有名な「炎舞」も初めて見ました。でかい作品を想像していたら、意外にこぢんまりした作品なんですね。この絵の前で、涎垂らさん勢いでかぶりつきで見入っていたカップルは微笑ましかったです。「なんで、なんで? なんでこんなにすごい赤なの?」だそうです。同感。
おもえば、昨年竹橋の近代美術館で観た「上村松園」、2008年の「横山大観」「東山魁夷」、2006年の「プライスコレクション」伊藤若冲と、日本画展でいつも思うのはその圧倒的な画力で、これはもうひれ伏すしかありません。私などが美大に行ってスミマセンとい心持ちに… 今回の、速水御舟の馬の素描も、細い筆でスッスッと描いているその脚やお尻の線の美しいこと。
あと、日本画のタイトルは情緒がありますね。その反面覚えにくくて難儀。今回の作品群は、わかりやすいものが多いですが、作品リストに必死でメモ書きを残しました。だって、春光、木精、黒潮、なんて絶対何の絵だったか忘れますもん。「春光」は奥村土牛の鹿、「木精」は山口華楊の梟、「黒潮」は川端龍子の飛魚の絵でした。とくに「黒潮」カッコいいです。躍動感と青の深さには見蕩れました。

タイトルといえば、だいぶん前に竹橋で観た高山辰雄展での一連の作品名。とても深く情感のあるものが多く「なんて読むの、これ?」なものも続出。例えば「凍」「萌える春」「穹」「皓皓」… 絵とともに見ると納得なのですが、おもしろいので、これが英語だとどうなるのか、見比べたことがありました。それぞれ、凍「Freezing Dawn」 萌える春「Fresh Leaves of Spring」 穹「Sky 」 皓皓「White Moonlight」。なんだか… そのまんまですし… 日本語ってやはり深いです。

大変残念だったのは、一番のお目当ての竹内栖鳳「班猫」が、期間前半で引っ込められていたこと。どうも2週間程度しか出しておけない決まりのようです。年末の「ザ・ベスト・オブ山種」に出されるようなので、これに期待します!

「日本画どうぶつえん」 山種美術館

 

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セラフィーヌの庭

昨年8月に、岩波ホールで見たフランス映画です。
所々でかかるバロック風の音楽が良くてサントラを探しましたが手に入らず、結局作品自体のDVDを購入。1年ぶりに見直して、改めて画面の美しさに感嘆しました。

舞台は、第一次大戦前後のサンリス、パリから北東へ上っていった辺りのようです。家政婦として働きながら、毎夜ひたすら絵を描く日々の中年女性セラフィーヌ・ルイ。雑用の仕事で通う屋敷に、たまたま間借りした男性が、これもたまたま屋敷の女主人に作品を見せるように言われて、彼女が持ってきていた一枚の絵に目を留めます。女主人は、才能が無いから諦めろとにべもない。ですが、間借りした男性は実はピカソ、ブラックと友人で、ルソーを見出した画商ヴィルヘルム・ウーデ、力強いタッチと深い赤の林檎の絵1枚で彼女の並々ならぬ才能を見抜きます。
「無知な連中の言うことは気にするな、私を信じろ」(カッコいいです)と言われ、カツカツの生活の中で、ろうそくの火の中、「百目」みたいな果実の絵や「目目連」みたいな木の葉の絵を書き続ける様は鬼気迫るものがありますが、シーンはとてもとても美しく、ず〜っと見ていたい気持ちになります。
第一次大戦の勃発で、一度はドイツに逃げ戻ったウーデですが、大戦後またフランスへ戻り、サンリスの市役所で地元の人々の絵画展を開催していることを知って「もしや!」と駆けつける。大人しい風景画や子供や犬の絵に混ざって、あの、度肝を抜く、葉の一枚一枚が生き物のようなセラフィーヌの絵と再会する場面はぐっときます。
前にあった時よりも、さらに困窮している彼女に、ウーデは月々のギャラと、縦2mの大型キャンバス、画材を届けさせることを約束し、ここら辺は、見ているこちらも嬉しいです。部屋も広くなって、あぁ、良かったねぇ…と。だから、次第に城だドレスだ銀食器だと浪費が始まり、言動がおかしくなっていく展開がつらい。1929年の世界恐慌で画商のウーデも経営難に陥り、予定の展覧会が延期になったをきっかけに彼女は壊れてしまいます。終いには教会のマリア像をピンクに塗り上げ、ウェディングドレスを着込んで、大袋に入れた銀の燭台や食器を近所に配って廻るサンタクロースのような奇行に、警察を呼ぶ騒ぎとなり精神病院に収容されてしまうのは悲しい。
ウーデの采配で、明るく、庭にも出られる個室に移されたセラフィーヌが、ベランダにお気に入りの椅子(背もたれにハート形の模様があるキュートな椅子。屋敷の庭にあって、この椅子に座らされて絵を描くように説得されるのです。途中にも、この椅子が無人の屋敷の雪の庭にポツンとあるシーンがでてきます)が置いてあるのを見つけて、それを持って、遠く、丘の上に立つ大きな木のところへ、草原をサクサクサクサク歩いていく長廻しのラストシーンはちょっと救われた気になります。多分「丘の上の木」は、彼女の心の中の風景なのでしょうけれど…
セラフィーヌが、ウーデ氏の書く文字に魅せられるエピソードが好きです。
屋敷で、氏が台所のテーブルにメモ書きを置いていきます。「パリへ行ってきます。いつものように、お願いします」と。この何でもない伝言を、彼女は何度も眺めて口ずさみ、丁寧にメモ用紙をしまいこみます。掃除の時には、氏の手帳の流麗な筆記体を飽かず眺めます。大戦勃発で、彼らが慌ただしく屋敷を出立したあと、無人の屋敷の中で氏の手帳を見つけた彼女は、大事に取っておいて、10数年ぶりの再会した折、彼にその手帳を返します。「旦那様のきれいな字で、いつか私に手紙を書いて」このシーンも好きですね。映画オフィシャルページの年表に寄れば、出会ったときは48歳、再会した時は63歳(ウーデは53歳)なのですが、淡い恋心との見て取れて、ふんわりした気持ちになりました。
「セラフィーヌの庭」 SÉRAPHINE  監督=マルタン・プロヴォスト

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